大切なものを守るために

11月11日の節目。
何を書こうかと考えあぐねていた私に話題を提供したのは、
今年亡くなった弟でした。
「みんながするからする」という考え方を変えていかないと
という典型的な例として昔話を書いて欲しいというので、
書き始めたもののなかなか上手くまとまらず、
日をまたいでの更新となりました。(っていうか、もう翌日ですね)


「私、一人がしたって何も変わらない」と思いますか?

そんなことはありません。今は目に見えなくても、その後へ続く影響が
起きているんですよ。

だから、

「みんながするからする」とか
「みんながこう思うからそう思う」ではなくて、

「みんながそう思っても、私はこう思う」という
自分の意志を大切にしてくださいね。

たとえば極端なことを言うと、「みんながするからする」ということは
「みんながイジメたら、あなたもイジメるの?」という話に繋がってきます。
そう聞かれると、「そんなことはないよ」と答えるかもしれません。

イジメには加わらなくても、見て見ぬフリをして過ごすことは
イジメられた側からすると、助けてくれなかったという部分で
イジメている人と大差ないんですよね。


今回、長文なうえ、ハードな内容となりましたが、
子育て中の方はもとより、いろんな人に読んでもらいたいと思うので
シェアしますね。




今から25年程前の話になりますが、弟を連れて公園へ行ったときのこと。
弟は広い滑り台で楽しく遊んでいました。

ところが、しばらくすると弟の同級生が
「大変なの、みんなにイジメられてる」と走って教えに
来てくれました。

滑り台へ行ってみると、10人くらいの小学生に袋叩きにされながら
滑り台を降りているところでした。
その光景を見た私は、一目散で弟のところへ駆け出しました。
怖いとか、仕返しされるとか、そんなことを考える余裕なんて
ありませんでした。
弟は体が弱く持病もあり、当時は小さい方だったので、
止めなきゃ大変なことになるという想いで走っていました。

滑り台下の砂場へついて、袋叩きをしている小学生たちを
怒りながら一人ひとり引き剥がしていきました。
といっても、当時私も小学生。
体格は大きい方ではなかったので、大変だったと思うのですが
無我夢中でしたのであまり覚えていません。

印象に残っているのは、

「こんなことしていいいとあんた思っちよんの?」

と聞いたときにそこに居た全員がこう答えたことです。

「みんながしよんけん...」

善悪の区別なく、ただみんながしてるからしてると言ったその言葉を
忘れることは出来ません。

ちなみに、その時大人は誰もいなかったのか?というと、
そんなことはなく、大人は周りに3~4人居ました。

でも、誰も止めてはくれませんでした。

大人が登場したのは、私がそこに飛び込んで行ってイジメている子たちを
引き剥がした時です。

「うちの子に何するの。ちょっとひどいんやないの」

これは、イジメていた子の親が私に言った言葉。
肉弾戦のケンカをしたことある方は分かるかもしれませんが、
殴る蹴るの暴力を振るっている子を引き剥がすのには
それなりの力が要ります。
相手を殴らなくても、向こうへ追いやるには
体を押したりする必要があったため、そうしただけです。

その大人の言葉に、頭にきて問い返しました。

「何がひどいんや、見て分からんのか。
ひどいんは、よってたかって弟をイジメたお前んとこの子供やろ!
大人やったらなんで、はよぉイジメを止めんのか!!」

そうしたら、何て答えたと思いますか?

「みんなで楽しく遊んでんのかと思った」

これには衝撃を受けました。
10人の小学生が、よってたかって一人の子に暴力を振るっている光景が、
みんなで楽しく遊んでる?

「お前の目は節穴か。5mそこらしか離れていないところにおって、
この状況が遊んじょんように見えるんか。
一対一ならまだしも、一対十やぞ。ありえんやろ。」

と激しく聞き返したら、

「うちの子はいい子やから、
イジメなんかするはずないけん、あれは遊びや」

と返してきたのです。この言葉には耳を疑いました。
子供だけでなく、大人もイジメの意識が薄いんだなぁと実感したのです。
そこで、そんなに遊びというのならと私はこう返しました。

「そうか、そんなに遊びいうんやったら、同じことしちゃん。
私が滑り台から蹴りながら落としちゃるけん、お前の子供貸せ。」

そうしたら何て返ってきたか分かりますか?

「それはイジメや。そんなこと承諾できん。頭おかしいんちゃうの」

ですって。
自分の子だとイジメと思うけど、同じことを自分の子が他人の子にしていても
イジメと思わないのはどういう思考回路なのでしょう?
こんな大人がいるなんて信じたくありませんでした。

「頭おかしいんはお前らやろう。これだけ大人がおって、誰一人止めん。
自分の子が加害者んときは、イジメの意識がない。
遊びや思うてないけん、同じことされたくないんやろ。違うんか?
もう、二度とせんよう、よう子供に言い聞かせちょけや。」

と、返しました。
それでも彼らは非を認めようとはせずに、去っていきました。

それを見て私は、あの子達はあんな大人に育てられてかわいそうだなぁと
思いました。一番身近に居て、社会のルールとか道徳を教える立場にある親が
あれじゃあ、その後どうなるんだろうと。
やっぱり、見て見ぬフリをする子が多いのはそういうことかなと。


☆       ☆       ☆


この事件は、小学生だった私にとって本当に衝撃的でした。
助けてくれるだろう立場の大人が助けてくれないんですもの。
イジメられていて、誰も助けてくれないというのは、
本当にすごく寂しくて辛いことです。
生きている意味すら、無いに等しいと考えたりしますから。
そんな時に「生きていれば、いつか良いことあるよ」と言われても、
説得力がありません。

だけど、その人を助けると自分に火の粉がかかるかもしれないという状況で、
果たして相手を助けることができるでしょうか?
そう聞かれると、「助けたいけど怖い」と躊躇してしまう気持ちが
あるのも事実です。
また、その相手が、自分の子供、家族、親友、他人かによって対応が
違ってくるでしょう。

でも「助け」とは直接的な助けじゃなくてもいいと思うんです。
あなたが助けたと知られない方法で、間接的にでも助けを出すことができれば
状況は変わると思います。

私に「大変だよ」と教えてくれた弟の同級生には感謝しています。
その子は、「ごめんなさい。怖くて止めれないの。」と泣いていました。
イジメを止めない大人がいる中で、なんとか止めようとしてくれた
その子の気持ちがすごく嬉しかったです。
世の中捨てたもんじゃないなとその時思いました。


あの時イジメていた子達も今やいい大人になり、
中には子供が居る方もいるでしょう。

自分の子供がイジメられたら、事の重大さに気づくのでしょうか。
それとも加害者の子供は加害者になるのでしょうか。
そうとは限らないですよね。
または、人生においていつか同じ目にあったら知るのでしょうか。
もしくは知らないまま人生を終えるのでしょうか。

「いったいどうしたら、あの人たちは気づくのか」ということを
随分考えました。だけど、それは悔しいけど相手次第であり、
大切なのは「その時自分はどうするか」なんですよね。

このことを通して思うのは、
その小さいな世界の外にはもっと広い世界があるから、
生きることをあきらめないで欲しいということ。

今は渦中で、そんなこと微塵にも思えないかもしれないけれど、
あなたの人生はそれだけでないことを頭の片隅にでもいれていて欲しいこと。

人の助けだけでなく、そこから抜け出すには何かしら本人の努力(意思)が
必要だということ。(たとえば、ヘルプをあげるとか)

そして、周りに覚えていて欲しいことは、
イジメられている子は、なかなか自分からイジメられていることや助けて
と言えません。言ったら殺すと脅されている場合もあります。

親としては、言ってくれたら何が何でも助けると思っている場合が
ほとんどでしょう。でもね、なかなか言えないんです。
迷惑かけたくないとか、言える雰囲気じゃないとか、怖いとか
理由は色々あると思います。

だから、言える雰囲気を作ってあげて欲しいと思うのです。
そのためにも普段からコミュニケーションを心がけましょう。
時間をとって向き合ってあげてください。
最初は沈黙の時間が過ぎるだけかもしれません。
それでも、せっつかないであげてください。
そうやって、普段からコミュニケーションをとっていれば
様子が変だと気づくかもしれません。

また、日常と違う世界を見せてあげてください。
世の中はもっと広くて、いろんなことがあるということを
たくさん経験して、違う世界があることを知って欲しいのです。

大切なものを守るために、
どうかあなたの身近な存在に手を差し伸べてあげてください。


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